くれはは実は、学生時代から
政治に強く感心があったわけではありません。
ですが思えば、母は小学校教諭。
「教師という職業は男女の区別がなくて
いい職業。やりがいがある仕事だで。」
が口癖でした。
父は農協の共済組合に勤めていて、
選挙に関わっていました。
両親の言葉や経験に影響を受けていたのかな、
と振り返ります。
そんなくれはが政治と結びついたのは
1988年に移り住んだ
京都南端の旧木津町での活動があったから。
当時は子育てママとして、
食・教育・地域での子育て問題等に
周りの方を巻き込んで一緒に
取り組んでいました。
そんなある日、
町議会の傍聴をした際のこと。
男女平等が叫ばれている中、
性別で役割を分業するような古典的な考えに
ショックを隠せませんでした。
小学校のPTA副会長をしていた時期でもあり、
子ども達の人数の変動が大きい時代に
学期途中にクラス替えが行われたり、
お粗末な学校図書館の問題が起こる等、
“当事者の思いが伝わっていない”
そのことに愕然としたのです。
「これではあかん」
当時参加していた、
生協活動・PTA活動・地域活動。
名前を呼び合う女たちの会や、
子育てサークルの立ち上げに巻き込んだ
女性メンバーたちと決起。
政策決定の場に女性を送り込むため、
くれはが立ち上がったのです。
“日々の暮らしが
そのまま政治につながっている”
このことを強く実感し、
身近な自治体に声を届け、
変えていきたい。
その一心でした。
さて、決起後は
目まぐるしい日々が続きました。
何しろ、右も左もわからない初めての試み。
書籍を参考にし、
友人たちの協力をうけながら、
“手作り選挙”で町議員選に臨みます。
そんな活動をするとともに、
選挙の準備もけんけんがくがく…
今思い出すと、
必死で駆け抜けた感じがあります。
車いすに乗って町を歩いてみたり、
コミュニティバスで出かけ
段差の問題を確認したり、
体験したことをみらい通信で
広く町民に伝えていく。
おかげさまで、
2位当選
させていただきました。
そして、 2003年4月。
木津町議員初挑戦、
市民派手作り選挙。
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